2014/01/20
振り返ってみると立会い出産は、してもしなくても、どちらでもよかったと思う。
渦中は、夫に対して「恥ずかしい」とか「気が散る」などと思う精神的余裕はなくて、
励ましてくれていたであろう夫の声も聞こえず、その存在をも忘れていた。
何より、赤子が誕生しようとするパワーが凄すぎて、
私自身の不安な思いすらどこかに吹っ飛んでしまっていたので、
「一緒にいてくれて心強い!」と思うこともなく・・・あらら。
夫には悪いけど、いてもいなくても同じだったなぁ。ごめんね。
まぁ夫が立ち会ってよかったと思ってくれるならそれでよし!
話ずれるけど、たまに聞く「女子高生が一人で風呂場で産んだよ」ってニュース。
これまでは信じられなかったけど、出産の壮絶さと子供の生まれようとする力を体感して、
何がどうなって風呂場で産まれるのか分かる気がした。
生命誕生の奇跡と感動を夫婦で共有したい。なんて、大人のエゴなのかもな~。
ひとつの命がこの世に出てくるという事実があり、生み出す係が自分なだけ。
仮に戦時中だろうと、たとえ地球に母とお腹の子しか残されてなくても、生まれてくる。
実に単純なことで、だからこそ生命誕生の瞬間からずーっと繰り返されてきたんだなと府に落ちた。
そしてなぜか神秘的な気持ちになった。
その「神秘的な心情」なんだけど、男性にとってみれば、
もしかすると出産に立ち会わないほうが共感しやすいのかもしれない。
立ち会った男性は、目の当たりにする妻の苦しむ様子が衝撃的すぎて
「辛い思いをして妻が頑張ってくれた。ありがとう」って思いでいっぱいでしょう。
その他に何か感じるものがあるのだろうか。
夫は立会いした後どう思ったんだろう。